銭壷山の基本情報
基本情報飛騨弁📅 2026-07-22
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※YouTube公開前のため、サーバから先行配信しています
🎤 飛騨弁漫才で「銭壷山でお宝探しやさ!」
高嶺 昇よっしゃー!今日は山口県の銭壷山(ぜにつぼやま)に登るぞ!見てくれたけし、このピッケル(センターマイク)を武器に、山頂に埋まった財宝を全部掘り起こして大富豪になるんやさ!
岩壁 剛待て待て!のぼる、いきなり暴走すんな!ここは財宝掘る場所じゃなくて、山を楽しむ場所やろ。それに、俺を巻き込むな。高所恐怖症の俺に、掘削作業までさせんまいよ。
高嶺 昇なん言いよる!伝説にあるやろ?「沖の船から火が見えて掘ったら銭壺が出てきた」とか、「海賊が財宝を埋めた」とか!もう山頂に金貨が山盛りになっとるはずや!今からダイブして掘るぞ!
岩壁 剛ダイブすんな!危ないやろ!そういう伝説があるから「銭壷山」って名前になっとるだけや。いいか、ここは標高540mの山で、中国百名山の一つなんや。財宝より、360度開けた素晴らしい展望を見るのが正解やさ。
高嶺 昇展望?そんなもんより金や!でも、景色がえらいすごいらしいな。晴れとったら四国の石鎚山(いしづちやま)とか、大分の国東半島(くにさきはんとう)まで見えるって、もはや望遠鏡いらんレベルやな!よし、その視力で金貨を探すぞ!
岩壁 剛また金の話に戻ったな!のぼる、落ち着け。ここは山頂付近に桜がたくさん植えられてて、春には山腹が桜色に染まる名所なんや。あと、カヤトの草原が眩しくて「目舞ヶ丘(めまいがおか)」とも呼ばれとる。そういう風情を楽しむんや。
高嶺 昇桜に草原!最高やな!よし、今すぐ全速力で駆け上がるぞ!体力度1(ヤマップ表記)やから、俺なら10秒で登頂できるはずや!
岩壁 剛10秒で登れるか!体力度1は初心者でも安心って意味やけど、自分のペースで登れや。まあ、山頂には駐車場もあるし、車で上がれるんやけどな。俺は車で行くわ。
高嶺 昇たけし、逃げたな!俺は海賊の心で、瀬戸内海の多島美を眺めながら、今こそ伝説の壺を掘り当てるぞー!
岩壁 剛もうええわ!まとめると、山口県の銭壷山(ぜにつぼやま)は標高540mで、瀬戸内海の絶景や桜、そして歴史ある伝説が楽しめる山や。最新の情報はヤマップの山の情報ページで確かめてくれや。ありがとうございましたー!
📝 ポイント解説
360度の大パノラマと桜が楽しめる、山口県の絶景山です。
山口県にある銭壷山(ぜにつぼやま)は、標高540mの山です。山頂からは瀬戸内海の多島美や日の出が素晴らしく、晴れた日には遠く四国の石鎚山や九州の国東半島まで見渡せると評判のスポットです。
春には山頂付近に植えられた多くの桜が咲き誇り、山腹が桜色に染まる名所としても知られています。また、かつて「目舞ヶ丘」と呼ばれたカヤトの草原が広がる、美しい景色が魅力です。
山名には、財宝が入った壺を埋めたという伝説や、海賊の見張所があった歴史など、さまざまな物語が残されています。山頂まで車でアクセスできる駐車場もあり、気軽に訪れることができる山です。
- 体力度1(ヤマップ表記)
山頂まで車で上がることができ、気軽に絶景を楽しめるため - 抜群の眺望
360度フルに展望が開けており、瀬戸内海の景色が非常に美しいため
⛰️ 銭壷山の基本情報(YAMAPより)
- 山名
- 銭壷山
- 読み
- ぜにつぼやま
- 標高
- 540m
- 場所
- 山口
- タグ
- 中国百名山
- 難易度・体力度
- 体力度1(YAMAP表記)
- 人気の登山時期
- 1月、4月、12月(登山者数の統計より)
- 概要
- 銭壷山(ぜにつぼやま) は、山口県東部の岩国市由宇と柳井市大畠の境に位置する、標高540.1mの山である。 この山は周東山系の銭壺山地の主峰であり、山の東側には、瀬戸内海が迫っている。その標高と眼下に瀬戸内海が広がる位置のおかげで360度フルで展望が開けており、そこから見える瀬戸内の多島美や日の出の眺望が優れていることで有名である。また、その眺望の凄さは、晴天の日には遠く、四国は愛媛の石鎚山、あるいは、九州大分の国東半島も見渡せるほどである。このような美しい眺望から、山頂から見る防予の海は瀬戸内海の景色の中でも最も美しいと評されるほどである。山頂付近は桜の木が数多く植えられており、春は山腹が桜色一色にそまるという桜の名所でもある。なお、桜の開花時期は標高の高さの関係で、付近の山麓より数日乃至一週間程度遅い。また山頂付近は以前より採草地としても知られており、カヤトの草原が光を散らし、それが眩しく見え、目眩さえするほどであるということから、目舞ヶ丘とも呼ばれていた。山頂には、駐車場もあり、車でも上がることができる。 山名は「沖の船から山で火が燃えているのに気づき、そこを掘ってみたら銭壺が出てきた」という伝説に由来するという説が有力であるが、他にも、海賊衆が財宝を壺に入れて埋めたという説、平家の落人が壷に入れた財宝を埋めたという説、あるいは幕末の頃、幕府軍が長州藩に四境戦争で討伐をしようとした際に、戦火を恐れた麓の人々が自分の家に代々伝わる宝や銭を持ち出し、壷に入れて隠したなどの説も存在する。 かつて瀬戸内海賊が全盛だった頃、この一帯を支配していた大島海賊の見張所がこの山にあり、船の接近を狼煙で本拠地に伝えていたと言われる。また、1865年(慶応元年)の四境戦争の時に、岩国藩神代村の民兵隊の駐屯地「銭山保」が設けられ、隊が解散になる1870年(明治3年)までこの地で警備についた。